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2010年01月23日(土) 
きんかん

今、きんかんが美味しい。皮はそれなりに柔らかく、その中に実った果肉は甘く種も美しい。この厳寒の季節に、狭く小さな裏庭にもSun’s Loveが惜しげもなく注がれたのだ。仕事にかかる前にふと思いついてその中でも大きなきんかんを100個余り籠に入れた。昨年秋には、しこたま採り込んで圧力釜で2回に分けジャムにした。その際、小さめのきんかんは冬の鳥たちに残したものが、もうこんなに大きくなって再度の喜びを人間にもくださる。きんかんの枝は節くれが多くて指や手首を痛めつけることもあるが、冬のお陽さまのもと、季節はずれのこの収穫は幸せなひとときである。

枝の奥に潜む大きなきんかんを見つけては手をソーと差し入れて捥ぎ取りながら、考えていることは20年ほど前に逝った父のことだ。この家をローンで購入した際に、広島から出てきた父が祝いだと言って、まだ小さかったこのきんかんを手でこの場所に植えた。野菜くずを周りに埋め込んではいたが、ある春のこと、爆発的にたわわに実がなった。それ以来、春と秋は収穫の季節でジャムは近所の一人暮らしのお年寄りに喜んでもらえる。妹や姉、弟、甥っこや友人たち。。。すると手元に残るのはひと瓶か。そして季節はずれの冬にもこうして私と鳥たちを喜ばせてくれる。有難いねえ、お父ちゃん!

彼が亡くなる時、病室の彼の傍にいた。喉の奥に小さくなった舌が乾いて、それを湿ったガーゼで潤そうとするのだけど生気のある舌には戻らなくて、彼はその乾いた舌とともに
旅立った。父は、私が小さい頃、冷え切って氷のような私の両足を「さあ、来い!」と言って布団を持ちあげ、自分の両股に挟みこんでくれた。父の両股の温かさがジワーと小さく凍った両足に沁みわたったものだ。今でも心が寒くて凍てつく時、この父の大胆な両股が恋しくなる。「もういいよ。大丈夫だよ」と抱きかかえられている。

今回のきんかんはこのまま、食べてもらおう。皆さんには届けることができないので、写真を届けることにしよう。庭に目をやると少し寂しくなったきんかんの木が、鳥たちがついばみにくるのを待っている。



閲覧数3,954 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2010/01/23 14:18
公開範囲外部公開
コメント(3)
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  • 2010/01/24 16:04
    鮮やかな黄色で、太陽の恵みそのもの、という感じですね!

    砂糖煮したキンカンは、ほのかな苦味が味わい深いです。
    お紅茶に入れて楽しむのもアリですね!
    次項有
  • 2010/01/24 22:59
    uenoさん
    キンカン
    長い間食べていません。写真でいただきました(^_^)v
    ごちそうさまです。
    次項有
  • 2010/01/25 00:20
    鉛筆YOKOさん
    植田さん、上野さん

    ふっふっふ。。。
    旨そうでしょ?

    なるほど。。紅茶にねえ。春のジャムで楽しみましょう。  YOKO
    次項有
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