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2010年03月18日(木) 
3月17日、私が住んでいる香川県三豊市の隣にある観音寺市の中央図書館にて開かれた、映画『ふるさとをください』の無料上映会に行ってきた。

和歌山県のある町に、精神障害者の作業所(授産施設?)ができた。主人公は県庁の新人職員で、父は作業所反対派の急先鋒。主人公は作業所に生きる人々のひたむきな姿に共感し、作業所の若手職員と恋に落ちる、という内容。

映画の内容の詳細は書かないが、私が驚いたのは、作業所反対派の人々があまりにも露骨に精神障害者による『犯罪』を恐れているということである。彼ら彼女らは、地元の治安維持・安全保障のために作業所を排除する、というレトリックを使う。障害者は差別するつもりはない、という。障害がAだとして、障害によって起こりうる事態や状態をBとする。それでは、Bの防止のために障害者に立ち退いていただくのはAに対する差別なのか。はっきり議論できるようで、議論できない。

私は障害者関係の仕事をしたり、文献なりブログを読んでいると、こういうことで混乱して結論が出せずに、自分でも気分が悪くなることがある。

たとえば、米国の公共ラジオ(National Public Radio;NPR)で、自閉症に起因する運動機能の障害が、文字を書くときの困難に関連している、という報道がなされた。以下の記事を参照。

http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyI…=120275194

これが本当だとすると、企業の採用活動において手書きの履歴書を求められている場合(これは日本では常識だが、欧米では履歴書はワープロ打ちが常識)、自閉症スペクトラムにある人々は『字が汚い』と言われて書類審査で落ちる、ということも考えられる。私は企業の採用活動にかかわったことはないが、書類の『第一印象』が採用への重要な第一歩だとすると、深刻な問題である。この場合、自閉症スペクトラムはAで、『字が汚い』はBである。Bのために書類審査に落ちるのは、Aに対する企業側の差別か。そうではないのか。

現実主義的なことを言えば、自閉症の子どもたちや学生には一生懸命ペン習字を教える必要がある、かも知れない。発達障害の学生への支援が急務となっている日本の大学では、『ペン習字講座』をしている大学などあるのだろうか?

だんだん話が飛躍したが、私が『ふるさとをください』で考えさせられたのは、目に見える悪い状態を避けることが、少数派の人々に対する『差別』になるのか、という原理的な問題である。

ひとつ付け加えておくと、この映画はきょうされん(旧称:共同作業所全国連絡会)という団体の発足30周年映画である。いわゆる『作業所』(現在は障害者自立支援法により、名称と事業形態を変更しているところが多い)の連合団体が主導した映画なので、作業所と地域との共生を、との観点が背後にある。

作業所という施設の存在意義自体を否定し、障害者全員一般雇用ないし無勤労の所得保障を、と主張している人々には、この作品を見ることはひとつの試練かもしれない。私自身の立場は、作業所の肯定と否定の中間にある。一般事業所の多くでは、障害者を受け入れる受け皿が十分に整っていないように見えるし、『障害への理解』ばかりを主張するのはあまりにも非現実的なほどに、障害者への偏見と『普通の人』信仰がこの国では強いからである。私は家族との間で、しょっちゅうこういう議論をしている。

映画『ふるさとをください』ホームページ:
http://www.kyosaren.or.jp/furusato/index.htm


閲覧数1,531 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2010/03/18 15:05
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