あの日は連休明けで私も次の日学校のマラソン大会だったので、枕元にパーカーと、スニーカーを用意していました。偶然にもそのパーカーとスニーカーが次の日の行動を助けました。
朝の出来事が信じられずラジオを聞くとアナウンサーまでも震度5の模様です。とパニクっていました。まるで洗濯機の中身のようでした。幸い寝室に家具を置いていなかったので、家族にけがはありませんでしたが学校では生徒が3人なくなりました。
それ以来「人と防災」でボランティアを細々と継続しています。今日もこれから行きます。
あの日の5時46分、私はすでに起きていました。3月に出場予定のフルマラソンの大会に向けて、朝のジョギングに出かけようとしていました。その時、ギシギシと音がして部屋が揺れ始めました。一瞬、何が起こったのかわかりませんでした。それが地震であることに気づくまで10秒からいかかりました。地震が起こった週の土曜日とその2週間後の2回、私は震災ボランティアとして神戸を訪れましたジェットコースターのように曲がった阪急電車の高架の線路、45度ほど傾いた民家、一番被害が大きかった長田区の空襲のあとのような光景、私が大好きだった神戸の街がこんな姿になってしまった。すべてがショックでした。あの日のことは、決して忘れてはならないと思います。そして、亡くなられた6000人以上の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
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