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    <title>やっしさん（みやざき）のブログ</title>
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    <description>やっしさん（みやざき）のブログ</description>
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    <title>映画『ふるさとをください』を観て、差別の構造を考える</title>
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    <dc:subject>日記</dc:subject>
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    <dc:creator>やっしさん（みやざき）</dc:creator>
    <description>3月17日、私が住んでいる香川県三豊市の隣にある観音寺市の中央図書館にて開かれた、映画『ふるさとをください』の無料上映会に行ってきた。&#13;
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和歌山県のある町に、精神障害者の作業所（授産施設？)ができた。主人公は県庁の新人職員で、父は作業所反対派の急先鋒。主人公は作業所に生きる人々のひたむきな姿に共感し、作業所の若手職員と恋に落ちる、という内容。&#13;
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映画の内容の詳細は書かないが、私が驚いたのは、作業所反対派の人々があまりにも露骨に精神障害者による『犯罪』を恐れているということである。彼ら彼女らは、地...</description>
    <content:encoded><![CDATA[3月17日、私が住んでいる香川県三豊市の隣にある観音寺市の中央図書館にて開かれた、映画『ふるさとをください』の無料上映会に行ってきた。<br /><br />和歌山県のある町に、精神障害者の作業所（授産施設？)ができた。主人公は県庁の新人職員で、父は作業所反対派の急先鋒。主人公は作業所に生きる人々のひたむきな姿に共感し、作業所の若手職員と恋に落ちる、という内容。<br /><br />映画の内容の詳細は書かないが、私が驚いたのは、作業所反対派の人々があまりにも露骨に精神障害者による『犯罪』を恐れているということである。彼ら彼女らは、地元の治安維持・安全保障のために作業所を排除する、というレトリックを使う。障害者は差別するつもりはない、という。障害がAだとして、障害によって起こりうる事態や状態をBとする。それでは、Bの防止のために障害者に立ち退いていただくのはAに対する差別なのか。はっきり議論できるようで、議論できない。<br /><br />私は障害者関係の仕事をしたり、文献なりブログを読んでいると、こういうことで混乱して結論が出せずに、自分でも気分が悪くなることがある。<br /><br />たとえば、米国の公共ラジオ(National Public Radio;NPR)で、自閉症に起因する運動機能の障害が、文字を書くときの困難に関連している、という報道がなされた。以下の記事を参照。<br /><br />http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=120275194<br /><br />これが本当だとすると、企業の採用活動において手書きの履歴書を求められている場合(これは日本では常識だが、欧米では履歴書はワープロ打ちが常識)、自閉症スペクトラムにある人々は『字が汚い』と言われて書類審査で落ちる、ということも考えられる。私は企業の採用活動にかかわったことはないが、書類の『第一印象』が採用への重要な第一歩だとすると、深刻な問題である。この場合、自閉症スペクトラムはAで、『字が汚い』はBである。Bのために書類審査に落ちるのは、Aに対する企業側の差別か。そうではないのか。<br /><br />現実主義的なことを言えば、自閉症の子どもたちや学生には一生懸命ペン習字を教える必要がある、かも知れない。発達障害の学生への支援が急務となっている日本の大学では、『ペン習字講座』をしている大学などあるのだろうか？ <br /><br />だんだん話が飛躍したが、私が『ふるさとをください』で考えさせられたのは、目に見える悪い状態を避けることが、少数派の人々に対する『差別』になるのか、という原理的な問題である。<br /><br />ひとつ付け加えておくと、この映画はきょうされん（旧称：共同作業所全国連絡会）という団体の発足30周年映画である。いわゆる『作業所』(現在は障害者自立支援法により、名称と事業形態を変更しているところが多い)の連合団体が主導した映画なので、作業所と地域との共生を、との観点が背後にある。<br /><br />作業所という施設の存在意義自体を否定し、障害者全員一般雇用ないし無勤労の所得保障を、と主張している人々には、この作品を見ることはひとつの試練かもしれない。私自身の立場は、作業所の肯定と否定の中間にある。一般事業所の多くでは、障害者を受け入れる受け皿が十分に整っていないように見えるし、『障害への理解』ばかりを主張するのはあまりにも非現実的なほどに、障害者への偏見と『普通の人』信仰がこの国では強いからである。私は家族との間で、しょっちゅうこういう議論をしている。<br /><br />映画『ふるさとをください』ホームページ：<br />http://www.kyosaren.or.jp/furusato/index.htm<br /><br />]]></content:encoded>
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    <title>発達障害セミナーブーム？　について思うこと</title>
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    <dc:subject>日記</dc:subject>
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    <dc:creator>やっしさん（みやざき）</dc:creator>
    <description>以下は、私がＴｗｉｔｔｅｒ（http://www.twitter.com/myzkyss）に書いたものを加筆訂正のうえで一本の短文にまとめたものです。&#13;
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発達障害に関するセミナーは日本各地で頻繁に開かれている。療育のしかた、ポジティブな行動を促進するかかわり方、などなど。JEARN関係者の方々の中にも、参加された方は少なくないかもしれない。しかし、セミナーや講演会に「本人」が登壇することは少ない。実名を出すと職場で偏見にあうとか、最悪の場合は解雇とか、いろいろな懸念があって、本人は「ならば出ないほうが」ということになる。また、...</description>
    <content:encoded><![CDATA[以下は、私がＴｗｉｔｔｅｒ（http://www.twitter.com/myzkyss）に書いたものを加筆訂正のうえで一本の短文にまとめたものです。<br /><br />発達障害に関するセミナーは日本各地で頻繁に開かれている。療育のしかた、ポジティブな行動を促進するかかわり方、などなど。JEARN関係者の方々の中にも、参加された方は少なくないかもしれない。しかし、セミナーや講演会に「本人」が登壇することは少ない。実名を出すと職場で偏見にあうとか、最悪の場合は解雇とか、いろいろな懸念があって、本人は「ならば出ないほうが」ということになる。また、本人に意思があっても家族が反対することもある。<br /><br />しかし、これには落とし穴があるようにみえる。発達障害に関心のある人々に「本人」の声が届きにくい、ということになる。あるいは、プレゼンテーション能力があって快活でポジティブな一部の本人や、「支援者」として有名になってから発達障害を自覚しはじめた人々が多くを語ることになる。これでは、限られた「エリート型」の「本人」が「発達障害者」のイメージを形成しかねないのである。<br /><br />この状態が、発達障害のラベルを貼られた人々の声を的確に代弁しているといえるのか。疑問符を抱かざるを得ない。時々「本人」が講演することがあるが、体験談や「頑張っているので理解してください」という方向性の話になることが、私の知る限りでは多い。その人々は、何とか自己管理のスキルを身につけて、社会で苦労しながら生きている人々の姿である。それは必要である。発達障害の子どもをもった親御さんに勇気と知恵を与えてくれるであろう。<br /><br />しかし、その一方で私が声を大にしていいたいことは、法に触れるか、家に引きこもるか、家族や組織を絶望に陥れる（人物とみなされる）人々が確実にいるということである。この現実に目を背けてはならない。発達障害の関連団体は凶悪事件の犯人が「アスペルガー症候群」の診断を受けたと報道されると、「アスペルガー症候群が犯罪を引き起こすことはありません」と声明を出す。うがった見方ではあるが、仮に発達障害を持つ「本人」と家族をコミュニティーとすると、これはそのコミュニティーによる「トカゲの尻尾きり」ではないか。発達障害のラベルを貼られた人々、彼らを追い込んだ環境要因（たとえば、将来に不安があった、暴力や虐待を受けていた、など）とアスペルガー症候群の認知特性の因果関係ないし相関関係が、どれほど研究されたきたのか。<br /><br />いま、発達障害の世界における「本人」がしなければならないことは、「本人」の立場から政策を分析し、ライフスキルの開発をし、世間に発信していくことではないか。はたしてどのような事業に何円の予算が配分されることが「本人」のニードにあうのか。より深く研究され、当事者団体が学会で発表することがあってもいい。米国にはその種の団体がいくつもある。日本の発達障害に関する権利擁護（アドボカシー）は本人の勇気ある参加が肝要だと思う。脳性麻痺に関しては「青い芝の会」がある。知的障害に関しては「ピープルファースト」などがある。精神障害についても全国規模の「本人」組織がある。身体障害についても長い運動の歴史がある。発達障害の本人グループは、より大きな動きをしていく必要があるのではないか。<br /><br />私は長らく広汎性発達障害に関する勉強をして、障害者福祉の現場でも働いて、セルフヘルプグループにも参加して、以上のようなジレンマを感じてきた。講演で描かれる発達障害には、私が福祉の現場で見てきた「本人」の生々しい姿があまりみえてこない。いま、私ができることを考え、行動しようと思う。いまこそ、発達障害を持つ「本人」の声を政策に反映させる行動を。<br /><br />ちなみに本文における「本人」とは、障害を持った人、ないしラベルを張られた人々のことである。]]></content:encoded>
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  <item rdf:about="https://sns.jearn.jp/blog/blog.php?key=299">
    <title>謹賀新年</title>
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    <dc:subject>日記</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-02T22:00:11+09:00</dc:date>
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はじめてこのブログに書き込みをさせていただきます。このブログは外部公開されていますので、最初に補足説明を加えますこと、ご容赦くださいませ。&#13;
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このブログは、JEARN SNSというソーシャルネットワーキング・サービスの中にあります。これはJEARN(Japan Education and Resource Network)というＮＰＯが会員間の情報交換に利用しているものです。JEARNはInternational Education and Resource Network (iEARN)という、情報技術を利用した国際交流学習を推進するＮＰＯの日本センターの役割を担っています。私はJEARNが...</description>
    <content:encoded><![CDATA[皆様へ<br /><br />はじめてこのブログに書き込みをさせていただきます。このブログは外部公開されていますので、最初に補足説明を加えますこと、ご容赦くださいませ。<br /><br />このブログは、JEARN SNSというソーシャルネットワーキング・サービスの中にあります。これはJEARN(Japan Education and Resource Network)というＮＰＯが会員間の情報交換に利用しているものです。JEARNはInternational Education and Resource Network (iEARN)という、情報技術を利用した国際交流学習を推進するＮＰＯの日本センターの役割を担っています。私はJEARNが中心となってiEARNの国際会議を実施した2003年からJEARNにかかわっています。このブログも、その延長線上に展開されるものです。<br /><br />私は大学で英語を勉強し、縁あって大学院修士課程で政策科学を勉強し、福祉関係の仕事をへて2008年から米国に留学しています。Disability Studies(障害学)が専門です。これは、障害者の観点から障害者をめぐる政策や歴史・文化を考察しようとするものです。<br /><br />このブログでは、ここまで書いたような、いわば遠回りともいえる経緯の中から私が考えたことや国内外から発見した情報などをお伝えしていきたいと思います。<br /><br />先ほど、米国に留学していると書きましたが、現在は日本に一時帰国しています。今月13日に再出国しますが、正月は日本で迎えました。<br /><br />昨年は、世界が大きな変化を経験した年でした。日本と米国を含むいくつかの国で政権が交代しました。日本と米国の国民は「変化」(CHANGE)を期待しましたし、今も期待している人々は多くいるでしょうし、私もその一人なのです。しかし、私の周りの話を聞いていますと、「実はそんなに変わっていない」との実態も耳にします。また、政治が変化を起こそうとすると、変化が起こる以前に権力を握っていた人々やそれを支持していた人々が猛反対をします。<br /><br />変化が起こるというのは、そういうことなのだと実感しました。<br /><br />今年は公私共に更なる変化の予感がいたします。<br /><br />このような時勢には、相違に対する寛容さ、心の平安、そして勇気が求められるのではないでしょうか。<br /><br />皆様におかれましては、ご自愛のうえよいお年を送られますよう、お祈り申し上げます。<br /><br />なお、まだ建設中ですが、ホームページを始めました。英文が中心ですが、日本語のプロフィールも載せています。URLは下記のとおりです。<br /><br />http://sites.google.com/site/myzkyss/<br /><br />また、Twitter（つぃったー）も始めました。<br /><br />http://twitter.com/myzkyss <br /><br />ブログはあまり経験がありませんが、書けるなりのことを書いていきたいと思っております。よろしくお願い申し上げます。<br /><br />宮崎　康支]]></content:encoded>
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