義母が亡くなって14年になります。生前は観世流の名誉師範として我が家でお弟子さんへ稽古をつけ京都の観世会館でも謡や仕舞を披いておりました。そのお弟子さんの一人から番囃子「砧」を披くので聴いて欲しいとの誘いがあり、昨日、大阪能楽堂へ出かけました。 久ぶりの謡いの世界に留まって「いいなあ・・・」と感慨深い3時間でした。実は、私もお稽古の日には弟子の一人になって義母から手ほどきを受け15年余、彼女が亡くなるまで謡いの世界におりました。京都観世会館で謡わせていただいた経験もあります。義母が亡くなった時、未練はあったのですがこの世界は結構経済的に余裕がないと続かない点や、手元のお金はJEARN活動に使いたいという希望もあり、謡曲を辞めることに決めました。それ以来、お誘いは断り、無縁を続けてきました。 今回のお誘いは、彼女と最後の会で「通小町」をシテ・ツレで謡ったこともあり熱心に何度も誘われますので、久しぶりに出かけたわけです。途中からの入場でしたが、披「卒塔婆小町」、連吟「屋島」、彼女の番囃子・披「砧」、連吟「巴」、披「鸚鵡小町」、仕舞「三輪」を楽しみました。義母が遺してくれた百番集を手に言葉を追っていきますと、声の上下、回し、強弱、拍子の取り方など結構、覚えていることに気付き、謡曲の師が固める地謡は迫力があり、日本語の美しさにも溺れて、お謡いの世界にすっかり引き込まれていました。 ~うつし人とは誰か言う。草木も時を知り。鳥獣も心あるや。-- これも思へば仮初に。打ちし砧の声の中。開くる法の花心。菩提の種と。なりにけり。菩提の種となりにけり。~ 仏壇の義母に報告しました。 |