朝日新聞夕刊で「在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業」に関する記事を読んだ。昭和59年12月新潟港から最初の帰国船が出航とある。 楊武雄もその一人であった。彼とは、同じ姫路東高等学校同窓生で在学中は生徒会で活動した仲間である。近くの山にも登ったなあ。 発つ前に送別会をした。楊さんは、まず自分が一人で帰って様子をみ、その後、両親を呼ぶと言った。大学にも行くと言った。夢と若さで眩しく見えた。 やがて、裏が透けて見えるような薄い紙の手紙が来た。いろいろと訊いたが、今は何も知らなくていいと答えてはくれなかった。何度か手紙のやり取りが続いたが、いつか来なくなった。。。若い頃の手紙の束の中に彼の手紙はまだ有る筈だ。 楊さんと一緒に生徒会をした今の旦那に「楊さんはどうしているやろうねえ」と言うと、「もう死んでいるかもしれん。。」という返事が 帰ってきた。 |