阪神淡路大震災から21年たちました。あの朝、私は、ジョギングに出かけるため、自分の部屋で着替えていました。その時揺れが来ました。大阪の私の家があるあたりも震度4ですから、かなり揺れました。あわてて寝室に戻ると、妻が子どもを抱いて「地震や地震や、怖いよう」と言っていました。テレビをつけると神戸では震度6になっていました。いつも通りの通勤時刻に駅に行くと電車は全面ストップ。仕方なくタクシーで通勤しましたが、道が混んでいてなかなか進まず途中からは歩いて、職場である東百舌鳥高校にたどり着きました。学校は臨時休校。準備室でテレビを見て、神戸が大変なことになっていることを知りました。地震の後、2度、震災ボランティアで現地を訪れました。21年もたったのですね。時が立つのは早いです。しかし、震災の記憶を風化させてはいけないと思います。
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